個人的交流会してきました。
彼は刀という千年単位の歴史をもつ道具の現役の職人、私もカヌーカヤックという千年単位の歴史をもつ道具の愛好家。
濃いい話が出来たのでブログに書きたいのですが、咀嚼しないと伝わらなさそう。しばしお待ちを。 pic.twitter.com/r83bHbfPVI
— 近藤恭輔 (@kkonchangifu) 2013, 12月 14
この時の交流会と称した、刀鍛冶の友人との呑み会のまとめ。彼はこの夏〜秋に2ヶ月ほど渡米して、刀鍛冶のデモンストレーションや講演、技術交流を行ってきました。ナイフ職人や鉄工芸作家、大学の先生、などなどの鉄刃物関係のアメリカ人と交流してきた話を、酒をちびちびしながら拝聴し、こちらも好き勝手好きなことを合いの手で話すという会を開いてきました。(よーするに、久々なんで呑もまいか、そうしよまいか、という話になったということ。)
酒の肴の与太話概略。
・刀鍛冶として渡米して感じたこと。
→とそれに纏わるやりとりをカッコつけてまとめたのが以下の◼︎の内容。
(カッコつけてないとグダグダにクダ巻いていたのがバレる。むしろ、バレバレ?)
・サバニの話
・古代のヒスイや黒曜石の流通について
・ケネウィック人について
・ネイティブ・アメリカンと縄文人のつながり
・俺らもう中年
・そろそろしたいことしぼってしないと寿命足りないかも?
・60代以降で人生の代表作を作る秘訣(予想もしくは妄想だけど)
・また釣り&カヌーするか!
・来年なにするの?どこいくの?
◼︎西洋のナイフと、刀の造り方の違い。
刀のクオリティは海外からも評価が高いが、全て感覚で作られていることに大変驚かれたとのこと。(計測・計量というプロセスはない。そんなもん見ただけ触れただけ嗅いだだけ感じただけで見切れんかい!っていうのが日本の職人の姿&凄さだと思うのだが)
産業界でも数値化できない職人技があるあたり、機械を凌ぐ人間の感覚を引き出す文化的な仕掛けが日本語と日本語から成り立つ文化にあるのではないか?
◼︎西洋には騎士道があり、日本の武士道(と仮に大雑把に言う。「葉隠」「死ぬこととみつけたり」あたりを想像していただければ)に相当するのだろうが、剣術に相当する技術は聞かない。剣道に対するフェンシングはあるのだが。(誰か詳細知りませんか?)
日本には、柔道、合気道、空手(これは琉球だが)など、2軸、無捻転な体の使い方を基本とする武道ばかり。農作業、飛脚、日本舞踊も体の使い方の原理は同じ。華奢な体格な人間が多い国だから、人間が出せる力を最大限にするような所作、動作が洗練されたのだろうか?
◼︎MIT(マサチューセッツ工科大学)の地下には鍛治場がある。MITの教授曰く「最新の技術は、過去の技術があって成り立つ。過去の技術を喪った時点で、最新の技術も本質を喪う。」
後世になればなるほど、根源的な事柄について、新しい発想が生まれる余地が減るのではないか?哲学が古代ギリシャで完成してしまったのが良い例。
昨今はドッグイヤーとも言われ、技術革新もめざましいが、表層の現象のみを活用、加工、さらに2次加工3次加工しているにすぎないのではないか?様々な事柄が複雑化してきたせいか、由来と根源を喪って宗教的、哲学的、倫理的には漂流している事柄事案現象が多い気がしないか?
◼︎刀の製法は千年以上の歴史があり、自分が思いつくようなことは先人達にやりつくされていた。ただ、刀鍛冶自身が外国に行けるような環境はここ数十年のことなので、この辺りに自分の世代の役割があるのではないか?
20世紀が科学の世紀であったならば、21世紀に入ってからは身体感覚、皮膚感覚をとりもどそうという動きを許容する空気を感じる。
科学=理論詰め、への反発なのかやはり人間には理解出来ないものへの畏怖が残っていたのか?反発というよりは、便利になったものはツールとしてうまく使いつつ、自然体の人間の糧にしていくにはどうしたら良いかの模索を始めているような印象を受ける。100年以上前にも同じような思想があったが、きっと産業革命以降の人類にとっては永遠のテーマなのだろう。
とはいえ、そんなこと思っても見たことがない人も多数のはず。むしろ、そんなこと思っても見たことがない人の方が多いはずで、故に本になったりするんですね。
自然体の人間、動物としての人間を確認し、折り合いをつけようとする人と、これまで以上に理詰めに進む人、その間で戸惑う人に別れてきているように見える。価値感の多様化と言われるが、大枠この3つに分けられてしまい、多様と言えるほどの多様性はないのでは?
・・・と、こうまとめると熱い&堅そう&青臭い話をしてたようですが、実態の90%はたわいもない話。まともそうな部分だけ抽出してみました。とはいえ、お互い好きなことを好きなように酔っぱらって話しているので、あんまりかみ合っていないところもあるし、質問に質問で返した上に質問でだめ押ししているし、論理が飛びまくっているのも当然と言えば当然。(それでもなんか面白い話をしてた臭いしませんか?本人たちだけ?)
ここまで読んで、あーなるほど海旅、と納得できた方は、心底外遊びが好きなんじゃないかと。(そういう要素はそれなりに話の中にあると思うのですが、いかがでしょうか?)
いつものように長文お付き合いいただきありがとうございました。
一方的、個人的、公共性なしな内容ですが、そもそも個人ブログなのであしからず。
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